第二章 雪泥鴻爪

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 基本的には、生徒たちが墨を磨るときは水道水を汲み置きしてカルキを抜いたものを使わせている。水道水がいけないというわけではないが、水の微妙な違いが摩った墨に表れるのだ。しかしながら、水と墨の関係など詳しく説明されても綾華はおもしろくないだろう。その話はまた今度、と心の中で呟く。  直後、昭俊はふと身震いした。ガラス戸の隙間から冷たい風が入ってきたのだ。今日は縁側に入る日差しは頼りなく、いつもより空気も冷えており、さすがの昭俊もめずらしく靴下を履いている。  戻ってきた綾華が縁側に上がり、ガラス戸を閉めた。風の音が遠くなる。  彼女はそろそろと歩いて部屋に入ってくると、音を立てずに障子を閉め、もとの場所に正座した。硯に水を垂らし、慣れた手つきで固形墨を磨りはじめる。  昭俊は綾華の視界から姿を消してさりげなく腰を下ろし、それを静かに見守った。綾華が墨を磨るのはなんらかの理由で気分を害したときだ。原因の見当はついている。
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