第二章 雪泥鴻爪

19/113
前へ
/391ページ
次へ
「やだ、美代子さん……あの人と同じこと訊かないでください」 「あの人? ああ、若旦那様か」  潤がわずかに顔をこわばらせると、美代子は「うふふ」と上品に笑い、なまめかしい目つきで覗き込んできた。 「肌つやがいいのはそういうわけだったのね」 「えっ」 「隠さなくていいのよ。そっか、若旦那様はイケメン書道家に嫉妬したんだ。それで、ね」 「美代子さん……」 「いいじゃない、夫婦なんだから。羨ましいくらいよ」  美代子は清々しい微笑みを浮かべ、ふだんのさわやかな美人仲居に戻った。 「そろそろ時間ね。別棟の宴会場は忙しいと思うけど、私たち客室係はいつもどおりの仕事をしましょう」 「はい」  頼もしい先輩に、潤も笑みを返した。  後ろから獣のように突き上げてくる夫が怖かった。最後はただ痛みに耐え、感じたことのない恐怖にひっそりと涙を流した。いくら親身になってくれる美代子にも、それだけは言えない。
/391ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2036人が本棚に入れています
本棚に追加