第二章 雪泥鴻爪

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 潤はそれを呆然と見つめていたが、大きな配膳盆を両手で持ち忙しく働く仲居たちの姿がふと視界に入り、今の自分の立場を思い出した。急いでその場を離れようと腰を上げ、人々に背を向ける。  そのとたん、舌打ちする音が鋭く耳に響いた。気のせいだと思いたかったがたしかに聞こえた。  それが木村と呼ばれていた男性のものだということは容易に想像できたし、確信があった。藤田に向けられた悪意なのか、自分に向けられた不満なのかはわからなかった。どちらでもあるようにも思えた。  沈みそうになる気分を胸の奥に押し込み、客用の出入り口とは反対側にある従業員用の出入り口から会場を出る。そこにいた人物に、潤は思わずびくりと肩を震わせた。 「誠二郎さん……」  口の端をうっすらと上げて静かに歩み寄ってきた夫は、藤田の登場で盛り上がる会場内を覗き込んだ。 「潤。しっかりやっているか」 「あ、あの」 「まあ今はそんなことはどうでもいいんだけど」 「え……」 「一緒に来なさい」  重い声とともに手首を掴まれ、会場に引き戻された。
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