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「……潤さん、顔色が悪いわ」
かすかに怒気を抑えた声色で女将が言った。
「もう帰りなさい」
「で、でも」
「そんな顔を向けられるお客様の身にもなりなさい。かえって迷惑です」
「はい……すみません」
女将の鋭い視線から逃れるように頭を下げると、引いていた涙がふたたび溢れ視界を覆う。まばたきとともにこぼれた涙が床に落ちたとき、無機質な声が降った。
「野島屋には、もう来なくてよい」
全身を支配する絶望感に押しつぶされそうになりながら、潤はゆっくりと頭を上げた。
哀愁と固い決意が入り交じる目つきで女将がこちらを見据えている。
「どうして……」
潤は無意識に呟いた。意図せず唇が震える。
「女将は、どうして私を隠すのですか」
若女将として認められたかったわけではない。それでも、野島屋の人間ではなくあくまで仲居のひとりとして客の前に立つのを徹底されることに少なからず不安を覚えていた。いつか何事もなかったように追い出されるのではないかと。
「潤さん。……ここは、あなたには向いていない」
それが今、現実になった。残酷な事実が突きつけられて。
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