第一章 あなたが好きです

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「どこまで遡ったらいいかなあ……」  遼子(りょうこ)の視線を感じながら別所(べっしょ)は思案する。  岡田(おかだ)深雪(みゆき)に好意を寄せていることに気づいたのは彼らが入社して割とすぐだ。それから五年が経っているが、二人の関係は進展どころかこじれている。この間の記憶を遡っていたら、勝手にため息が漏れた。 「二人が同い年の同期入社なのはご存じですか?」 「はい、深雪さんから聞きました」 「岡田は人事、深雪くんは法務と課は違いますが、小さな会社ですから飲み会や食事会、それにお茶会になると二人一緒に誘われていました。そこで岡田は必ず深雪くんの隣に陣取るんです。なぜだと思いますか?」 「え? それは……同期、だから、とか……」 「僕もはじめはそう思っていたんです。でも違いました。岡田はね、深雪くんに近づく男たちをけん制していたんですよ」 「けん制……?」  遼子から戸惑いの顔を向けられた。別所は苦い顔をする。 「そう確信したのは彼らが入社した年の社員旅行です。知り合いが経営している熱海のリゾートホテルに行ったんです。そのとき岡田はいつものように深雪くんの隣に陣取りましたが、先輩たちに呼ばれて席を離れたんです。で、チャンス到来とばかりに深雪くんに近づいた社員がいたんですが、すぐに戻った岡田に追い払われたんですよね」 「追い払われた、って……」 「離れろって言ったわけじゃないんです。ただ、深雪くんたちのおしゃべりに横やりを入れたというか、彼女をからかって怒らせてケンカみたいになったというか……。会話を遮られてそんなものを見てしまえば都合が悪くなります。それで撤退したので結果的には追い払ったんですよ」  その一部始終を偶然見てからというもの、深雪と一緒にいるときの岡田の動向が気になったものだ。社員旅行のあと、同じような出来事が何度も続いたおかげなのか、深雪に近づこうとする男たちは減ったけれど、そのかわり二人の仲はいいとはいえなくなった。 「そのときにちゃんと気持ちを伝えていたら良かったのに岡田はしなかった。なぜだと思います?」 「……わかりません」  遼子は表情を曇らせた。  岡田が深雪に近づく男たちを撃退している理由それは明らかだ。彼女に好意を寄せているからで違いないが、岡田はいつまで経っても行動を起こさない。どうしてなのかと疑念を抱いたものだが、自分の秘書になったあとの岡田の言動を振り返ると合点がいった。 「あくまでも推測ですが……」  別所は言いにくそうに口を開く。岡田の真意がわからない以上、彼の言動から導き出したものは仮定でしかないが確信はあった。 「おそらく深雪くんから追いかけられたいからでしょう」 「はあ……」  目線の先で遼子が怪訝な顔をする。 「岡田は女性たちから人気があると自負しているところがあります。性格はともかくあの格好だし自信を持つのも仕方がない。学生時代も女性たちに追いかけられる側だっただろうから、好きな人にそうされたいといいますか……」  モデルをしていた頃、岡田と同じタイプの同僚がいた。その彼には意中の女性がいたけれど、今の岡田と同じような接し方をする同僚よりも、彼女は自分に対し誠実な対応をしている男を選んだ。若かりし頃の記憶を思い返していたら、隣からあきれたようなため息が聞こえてきた。 「ということは、もしかしたら「あれ」もそれなのかしら……」 「あれ?」  ひとりごとのような小声で遼子が漏らしたものに別所は問いかける。 「実は……、聞いちゃったんです、二人の会話。喫茶室に行こうとしたら給湯室から深雪さんと岡田くんの声がして……」  遼子が顔を赤らめて言いにくそうに話し出した。 「岡田くんが食事に行こうって言ったら、深雪さんは自分は忙しいからほか当たってと……」  その後に続く二人のやりとりを遼子から聞かされあきれてしまった。が、不意にあることを思いだし別所は苦い顔で遼子に尋ねた。 「それはいつか覚えていますか?」 「(あずま)さんが来た日だから三日前です」  やはりそうか。別所は眉を寄せる。 「実はその日、昼休憩から戻った岡田の様子が変だったんです。おそらくですが深雪くんからきつい言葉を掛けられたからでしょうね。ということは……」  岡田が急に合コンへ行きだしたのは最近だ。しかも社外社内問わず誘われるままに参加していると耳にしたことがある。それまでどんなに誘われても頑なまでに断っていた彼が変わったのはおそらく……。 「いつまで経っても追いかけてこない深雪くんの気を引きたいんでしょうね」  結果として深雪から「女たらし」だの「クズ」だのと言われる羽目になったけれど自業自得だ。別所は深い息を吐く。  素直に気持ちを伝えればいいだけなのに、おかしな見栄が邪魔してできない岡田。そんな彼を毛嫌いするようになってしまった深雪。こじれにこじれてしまった二人の関係をどうにかしたくて、岡田は遼子に深雪を付き添わせようと提案したに違いない。そこに至り目線を岡田に向けると、彼は真面目な顔で東にスーツの相談をしていた。 「篠田(しのだ)のパーティー、なるべく早く岡田と深雪くんから離れましょう」 「え?」  遼子に視線を戻したらいぶかしげなまなざしを向けられていた。 「たぶんですが……、岡田は一世一代の勝負をするつもりだと思います。だからですよ」  すると遼子は不安げな顔で「はい」と言ったのだった。
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