現場

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「顔じゃない、姿形(すがたかたち)だよ。あんな大柄で、いいからだの若い男を見間違えるわけない」 「これも残念なことですが、神戸の港に行くと、立派な体躯(からだ)沖仲仕(おきなかし)がいくらでもいるんですよ……。顔に傷のある人も同様にいくらでもいる」 老人ははっとなった様子でうなだれた。 「とまあ、いま私が言ったことはこじつけですが。ただ、ご主人が裁判で証言するとなると、先ほどのように迷われたら採用されないでしょうね」 申し訳なさそうに加藤が言った。 「なんだね、君は一体どう思ってるのだ? 何が言いたいんだ?」 私の問いを無視して、加藤は島内老人に言った。 「最後にもう一つ、お伺いしたい。あなたが見た犯人とおぼしき男と、警察署に拘留されている小達とは服装も違いましたよね」 「……そうです。けさ見た奴は鳥打帽に黒い外套(マント)、黒い袴がちらっと見えた。書生か学生みたいな格好でしたけど、警察署ではやけにパリッとした洋装でしたよ、紺地のダブルの上下(じょうげ)でね」 「ありがとうございます。大変失礼した」 加藤は理髪店の店主たちにお辞儀して店を出て行くので、私はあわててついて行った。
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