59人が本棚に入れています
本棚に追加
天知光子は着ていたコートを脱ぐと、ハンドバッグと共に床に下ろした。その瞬間甘い匂いが微かにしたような気がした。刑事だから、というわけではないが、私はとても鼻が効くのだ。
「ああ、その綺麗なコートと鞄はソファに置いてください。ずっと掃除していないので、お洋服や鞄が汚れてしまう」
あわてて加藤が言う。
本人は清潔そうな外見をしているというのに、いつ来てもこの事務所の雑然とした汚さはどういうことだろう。私は彼の下宿先も知っているが、そこも万年床で、書籍や資料が積み上げられた、おそろしく汚い部屋である。
「まあ! では、まずお掃除からさせていただきますわ」
光子は生き生きとして、部屋を見回す。
その様子は、働き慣れている感じを私に与えた。
しかし、彼女の着ているものは高価そうで、働かなくてはならない立場や身分の娘には見えない。矛盾しているようだが。
光子がビルの管理人室に清掃道具を借りに行っている間に、私は加藤に今日訪ねてきた要件を切り出した。
「小達淳一郎、知っているだろう?」
「日本中の人間が知っている。有名な不良華族じゃないか」
「彼が今、兵庫県警で拘留されている」
「驚くことじゃないね。神戸まで来て今度は何をした? 人殺しでもしたのかね」
加藤はフン、と鼻を鳴らし馬鹿にしたように言う。
「そうだ。それもこのビルのすぐ近くでだよ」
私は重々しく言った。
人殺しと聞いて、加藤の声の調子が変わる。
「いつのことだ?」
「今朝だよ。今から……そうだな、4~5時間ほど前か。この通りを抜けて水道筋に入ってすぐの菓子屋で、爺さんが殺された」
最初のコメントを投稿しよう!