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ぼくたちが居た場所について
人魚は、どこに居る。
海を臨むこの街になら、居る。
さびれた街の軋む音は、人魚の嘆きに似ている。
いつだったか叔父さんが、ぼくにそう教えてくれた。
それをヒロトに話したら、眉根を寄せて笑われてしまった。
彼は窓の外に目をやる。灰色の街並みを、あわれんでいるようだった。
「そっか、便宜的に人魚なんだね。まちがってはいないかもね」
「なにが」
「それよりも、素敵な生き物がいるよ。こんなのなんだけど」
ベッドに付いたテーブルに紙を広げて、ヒロトはさらさらとそれを描いていく。
まるい笠のような身体に、糸のようなものを生やした生き物だ。
「クラゲ、知ってる? 僕の憧れの生き物」
知らない生き物だった。
ぼくは、ヒロトが好き。
遠くから来て、うちの医院に入院している、ヒロトが好き。
色が白くて物静かで、なんだかすべてがすずしげだ。それにとっても大人っぽい。
地元の同年代の子たちは、さびれた街で荒くなって、面の皮の厚いふるまいをする。ヒロトは彼らと異なる空気をまとっている。やはり中央から来た人は育ちがちがうのか。灰色の街に落ちた、一滴の清涼な青色のような。
あんな暗く湿った医院にいるのはかわいそうだ。
彼がクラスの転校生とかだったら、小学校生活も少しは楽しかったかもしれない。立場の弱いぼくも、ヒロトのとなりにいることを無言で誇るかも。
父が忘れ物をして、ぼくが医院に届けに行ったのが、ヒロトと出会うきっかけだ。
薄暗いエントランスで彼は、公衆電話に悪戦苦闘していた。硬貨を投入しても、そのまま返却口に出てしまうと。
それは苛立たしげな様子だったのに、生まれてこのかた街から出たことのないぼくに、中央からの見知らぬ男子の来訪は重大事であり、魅力的であった。おこづかいで買う玩具や駄菓子よりも、ときおり巡回してくる映画屋よりも、ずっとずっと。
ぼくはヒロトに会うために医院に通うようになった。ヒビの走ったみずぼらしいうちの医院が彼を閉じ込めていることに、うれしいような怒りたいような、相反する妙な気持ちになる。
ヒロトはなんらかの病気のようだ。今日も点滴の器具の中で滴が落ちる。手術が必要で、入院しているのだという。
「どこが悪いの?」
「脚」
人魚の存在をぼくが最初どうやって知ったのか、だれから教えてもらったのかは覚えていない。
でも、クラゲを教えてくれたのはヒロトだ。
絵に描かれたその可愛らしいクラゲが、ぼくの最初のクラゲだ。さらにヒロトはこう教えてくれた。
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