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〝私にもし想い合える相手がいたのなら、もう他には何もいらないのに〟
――どこからか、そう声が聞こえた気がした。
目を覚ますと、視界には模様も何も無いのっぺりとした天井が広がっていた。
頭がひどくぼんやりとしている。どうやら記憶が混乱しているらしく、自分が何者なのか分からなくなっていた。しばらくの間、私はじっとしたまま天井の一点を見つめていた。
何か夢でも見ていたのだろうか。
いや、今がその夢の最中なのだろうか。
辺りは明るいが、さほど眩しくもない。四方は壁に囲まれていて、窓はあれど直接日の光が当たらないようになっている。どうやらここは室内のようだ。
ゆるゆると、体の一部を動かす。
視界に入った二本の腕は、先端が細かく枝分かれになっている。
一、二、三、四、五。これは指。五本の、指。
それらは自分の意思で折り曲げることができるらしく、私はついその指先をいつまでも動かし続けていた。
「千砂。遅刻すんぞ」
ふと戸が開き、仏頂面の男が現れた。
白いよれたシャツに、味気の無い黒のチノパン。色合わせなど気にしないのか、靴下だけが場違いのように黄色く光っている。
私はその男をじっと見つめる。
思い出した。
……そう。彼は服のセンスが無い。彼はいつも五分前行動を心がけているような真面目人間だが、オシャレやグルメにはてんで疎い、いわゆる理系男子だ。
思い出した。
彼の名前は、昭島将吾。
「……ねえ。もしも、だけど」
私は横になったまま口を開いた。
声の出し方を、遺伝子が知っていた。
「もしもさ。……もしもー、なんだけど」
「なんだよ」
勿体ぶってみせると、将吾は少し苛立ったように眉根を寄せた。
家を出る時間が迫っていたからだろう。七時五十分に玄関のドアを開けるのが彼のルーティンである。
だけれど私は構わず、ベッドの上でゆっくりと伸びをしてみせる。
「もし、今日学校サボってデートしよ、って言ったらどーする?」
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