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海藤は天沢と部屋に入った。
よく整理された部屋だった。小さな仏間には、堂本しずるの遺影写真が飾られてある。線香の匂いがするのは、先ほどまで手を合わせていたなのかもしれない。
海藤と天沢も遺影を仰ぎ一礼し合掌した。
居間で腰をおろした。くたくたな座布団に正座した。どうぞ、和恵はお茶をテーブルに運ぶと、再び台所にもどった。
「天沢さん、さっきのあれ何なんですか?」海藤は声を潜めていった。
「銀座くまろく知らないのか?」
「さあ」
「銀座の高級日本料理店くまろくの限定スイーツだ。日本一の丹波黒豆と、フランス産最高級発酵バターエシレバターを使用した、一日二十食限定の超レアなケーキだ。値段はなんと◯×△◯×△だ」
ぎょええええ……海藤は口をあんぐり開けた。ケーキにそんな値段をつけるとは――。おったまげー。
「和恵さんが、そのケーキを好きだなんて、どうして知ってたんですか?」
「さあーね」天沢はひょっとこみたいに口をつぼめた。
舌打ちしそうになったが、海藤はこらえた。
この男は何も考えていないようで考えているのだ。おそらく、和恵の好物をどこかでリサーチしていたのかもしれない。刑事には思えない軽いノリを見せる一面はあるが、彼なりのサービス精神なのかもしれない。もし、そのケーキがなければ、今日は追い返されてたかもしれないのだから、その用意周到さには頭が上がらなかった。
「お待たせしました」
和恵が、切り分けたくまろくケーキを、盆にのせて運んできた。三人はしばしケーキの神秘に酔いしれた。
美味っ……海藤は頬が溶けそうになった。羊羮もいいが、ケーキもやはり裏切らない。これがエシレバターの風味かあ、とうっとり目を細めた。
「天沢さんでしたよね?」
和恵が訊いた。
先ほど、二人の名刺を渡して、名前は周知している。
「はい。天沢一哉です」
「どうして、私がこのケーキに目がないことをご存知で?」
う~ん、と天井を見つめた後、
「刑事の勘ですよ」と天沢は微笑んだ。
「それって、こういうときに使う台詞ですかね」曇りがちだった和恵の表情に、わずかな青空が見えた。
しかしすぐに、「刑事さん……」和恵の声が重たくなった。海藤と天沢は堂本しずるの母親の目を見た。
「娘に多額の保険金がかけられていたこを訊きにこられたのでしょう?」
天沢はお茶を飲んで、音を立てずに咳払いした。
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