第1話 絹大春季トライアル

1/11
前へ
/1047ページ
次へ

第1話 絹大春季トライアル

風は、バックストレートの彼方から、トラックの出口に向かって吹いていた。 山の中腹で、トラックは高さ5mほどの強固な石垣にぐるりと囲まれていた。 バックストレートのほうには緑のフェンスが張られていて、精いっぱい背伸びをすると、山の下の町、絹山市を一望することができた。 地形の関係か。 風は、トラックの向こうからホームストレートの手前へと、対角線に吹くのが常だった。 今も薫る、春の、さわやかな風。 通常は心地よいであろうその風が、分厚い大気の壁となって襲いかかってきて僕を苦しめていた。 「……っ!」 ゴールラインを駆け抜けて、僕はすべてから解放された。 惰性で、鮮やかなオレンジ色のタータンの上をしばらく走っていく。 やがてゆっくりと立ち止まり、息を吐きながら蒼天を仰ぐ。 鼓動が、心臓からこめかみへとつながっていた。 呼吸を繰り返しながら、僕は手を伸ばして紫色のスパイクのひもを緩めた。 手のひらにじんわりと浮かんだ汗が、やけに不快だった。 四月上旬。 私立絹山大学、陸上競技部練習トラック。 そこでは多くの陸上部員が部内の春季トライアルに参加していた。     
/1047ページ

最初のコメントを投稿しよう!

88人が本棚に入れています
本棚に追加