Indigo  ― 藍 ―

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「ジュワァーッ!」 1LDKの室内に、一人ワイシャツにスチームアイロンをかける男がいた。 几帳面なのか、丁寧に仕上げられたシャツはクローゼットへと手際よく並べられる。 暫くアイロン台と向き合う男の目の前には、 小さなメモ紙が、まるでお祝い事に頂く新札の様にピンと角を張り 横たわっていた。 男は、引きちぎられたメモ紙にもアイロンをかけていたようだ。 「どうしよう……桜井のあ……」 遼の好意で受け取った加害者の情報だが、 連絡先を知ったからと言って、 今の楓には、連絡を入れる意味すら見いだせなかった。  あの時、確かに驚いた事は事実だったが、 それを理由に、身体や金銭を求めるような男ではないし 今の楓には、異性との時間を過ごすよりも仕事と向き合いたい 気持ちの方が勝っていたからだった。  それをしめす様に、アイロンがけを終えた楓は、 翌日の仕事の準備に備え、クライアントの情報整理を始め出した。 頂いた名刺をスキャンし、情報端末に記憶させる。 ソファーに腰掛け、グラスワインを片手に今日頂いた名刺を取り出し 小さなテーブルの上に並べた。  「向井部長、それから、 山崎茜、これが担当者だったな。 それともう一人担当者の方は、桜井のあ、 はぁ、もう、これはもういいんだって、 終わった事だから。 あれ、もう一人の名刺何処に置いたかな?」 「……」 「えっ!」 楓は、慌てた様子でテーブルに足をぶつけワイングラスを倒してしまった。 「ああっ!」 ラグの繊維を、赤ワインが色鮮やかに染め上げる。 「……」 「嘘――」 零れ落ちたワインを拭く事を忘れる程に、 楓は、一枚の名刺に釘付けだった。 「桜井のあ、彼女との再会」 人見知りの性格のせいか、 特に異性は苦手で、目を見て会話することに慣れていなかった。 そんな自分を自己分析するかのように、 今日の名刺交換の記憶を振り返り、 彼女の事を思い出していた楓の手の中で、 再びスチームアイロンが最強蒸気で活躍していた。 「参ったなぁ。 このシミ、取れるかな……」
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