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僕には三つ上の兄がいた。
兄は筋肉が動きにくい病気で、その上頭にも障害があったから、僕たち家族はみんなで兄を支えた。
嚥下できない兄ちゃんの口にチューブを差してご飯を食べさせるのは僕の仕事。それから首についた酸素を流す管を取り替えるのも。
僕のすることはそれだけだったけど、中学に上がるともう一つ仕事が増えた。
それは学校のあと兄ちゃんを集合場所まで迎えに行くことだ。僕は本当に嬉しかった。
その分少しだけ時間の空いた母さんは日が暮れるくらいまでパートの時間を伸ばした。
みんなで兄ちゃんを支える生活だったけど、僕には一つ不満があった。
それは、母さんが兄ちゃんに、赤ちゃん言葉で喋りかけることだ。
兄ちゃんは確かに『あー』とか『うー』とか言うだけで喋れなかった。でも、それは筋肉が動かないからじゃないのかって、僕は考えた。
だってもう十六歳だ。本当は、身体の成長と同じように兄ちゃんの中身も成長しているんじゃないのか。
もし僕が今、いきなり喋れなくなって、身体も動かなくて、母さんに赤ちゃん扱いされたら。と、考えると身震いした。
それから僕は、迎えに行ってから家に帰っての二、三時間を、兄ちゃんに小説を読み聞かせたり手が動くよう筋トレを教えたりに費やした。
ぼんやりしていた兄ちゃんの目が、その時間だけは少し生き生きとしている気がする。
僕たちは一年間これを続けた。だから、兄ちゃんの手が僅かだけど動き始めたときは本当に感動した。
それから更に一年筋トレを続けて、右肘から先だけある程度自由に動くようになった。握る力は赤ちゃんより弱かったけど。
そのおかげで僕たちは簡単なコミュニケーションが取れるようになった。
僕の質問に対して、イエスのときは手を動かす、ノーのときは動かさない、というものだ。
あの日も連れて帰った兄ちゃんを窓際のお気に入りの、揺れる椅子に座らせて、ジュースを飲もうとした。
僕たちの『飲む』は、飲み込めないから、飲まなくていいくらい少々のジュースを舌につけてやることだ。
たまたまジュースを切らしてて、買いに行くねって兄ちゃんに聞いたら、少し間をおいて腕を動かした。
コンビニでオレンジジュースを買って、家へ。
帰ると、西日に照らされて兄ちゃんごと部屋全体がオレンジ色になっていた。
ピカピカ光る部屋の中で、椅子越しに兄ちゃんも光ってた。
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