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その悲しみはビールの煽り具合で表現された。手元にあるジョッキを一気に空にすると、再びお変わりを注文したが、次のビールが運ばれて来るまでにポッケの中の小箱はくしゃくしゃに握りつぶされていた。
「やっぱりオイラもその辺の客と同じやったってことか。」
自分に言い聞かせるように言い放ち、後は呼吸を整える。陽平とてすでに三十路を超えたいい大人である。これ以上醜態を晒すことがモラルに反していることも心得ている。
どんよりと重くのしかかる沈んだ気持ちを酒で軽くすることなどできず、うつむき加減のままで今宵はアパートへと帰ることになるのであった。
ふと見上げると、晩春の風が冷たく街路樹を揺らしていた。
あれから一週間も経ったころ、陽平は一人で飲んでいた。
会社の近くにある赤ちょうちんの店で『かば屋』という名前の店である。先日秀哉と飲んでいたのもこの店だった。店の名前の由来は知らないが、マスターの経歴に関係があるらしい。店の様相は、飾り気のない壁紙、音もなく流れているテレビ、立ち上るタバコの煙、そんな風景が昭和の雰囲気を醸し出していた。
この日も未だに溜息だけが大きく陽平の肩を揺らしていた。その様子を見ていたマスターが陽平の背中を叩いた。
「どないしたんや。この間からやけに溜息ばっかりやないか。」
マスターは小池雄三といって、六十に手が届いたかどうかという年齢。馴染み客からは兄貴分として慕われている。
「マスターは失恋した後はスパッと諦めきれるタイプですか?オイラはね、一ヶ月ぐらいは引きずるんです。目の前から彼女の姿が消えないんです。」
「おまいさん、いくつになったんや。まるで中学生やんか。今どきの高校生ですら、そんなに長く引きずっとらんで。」
「今の若い子みたいにドライになれないんですよ。それぐらい本気やったんやから。」
「本気かどうかは別として、ええ大人なんやから、いつまでも伏せってんと、次のことを考えや。女なんか一杯いるやんか。ましてやおまいさんはそれほど醜男ってほどでもないやろ。きっとまた、新しい恋が直ぐにも見つかるって。」
マスターは無責任な慰めをするしかないが、言ってることは間違っていない。
「それよりも今日は一人か?」
「ヤツと一緒に飲んでも、オイラが愚痴っぽくなるだけですから。ヤツのドライなところは羨ましい限りですけどね。」
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