まだ見ぬ君とさようなら

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 その時、ロビーの隅に置かれた小さなテレビがニュースを告げているのが断片的に耳に入った。 『……関係者によりますと、主な症状としては一番愛する人の記憶がだんだんと薄れていくもので…………その際のショックが原因で暴れ回ることもあり…………本人に自覚症状はないものの、周囲の人が異変に気付いて病院へ相談しているとのことです…………感染者の報告も寄せられて…………新種の突発性記憶障害ということで病院側は調査していくと返答して…………』  俺は指輪を握り締めた。急に胸が締め付けられた。顔も、名前すらも、何も思い出せないのに――  目頭が熱くなったと思ったら、ズボンに涙の跡が増えていった。止まらない。分からないのに、何で泣いているのかも分からないのに。止まらない。向かいに座るホテルマンが焦って声を掛けてきてくれているが、涙はお構いなしだった。  想像でしかないけれど、俺はきっと、妻のことをとても愛していたのだろう。病気にならず、君はずっと、覚えていてくれているだろうか。  愛していた妻よ、さようなら――  
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