2013年8月12日

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僕のその時の答えは声にならない“えっ!”、だった。 正直に言うと、なんで今更。それが僕の気持ちでした。 もともと子どもを持つことにはおっかなびっくりで、 それはそうでしょ、これから先どんなにひいき目に見ても 今よりよくなるとは思えないのに、 そこにわざわざ子どもを送り出すほど 僕は残酷じゃないよと 自分で自分のことを決めつけていたので だからこそ40を過ぎ、一度悲しい事があったから これで迷うことなく子は諦められる、というか 僕の両親に諦めてもらことができる、 そう僕は踏んだ。 弟は独身。ゴメン、孫は諦めてくれと。 ところがそれがひっくり返りそうなことになったわけです。 僕は考えました。 何が一番幸せなのかと。 孫を楽しみにしている罪のない独りよがりを続ける親父の幸せじゃない。 自分の子どもに会ってみたいという捨てきれなかった僕の幸せでもない。 新しい命を授かった妻の幸せかもしれない。 でも一番は、 その子がこの世の中に生れ出てくることの幸せじゃないかと。 僕は慎重だから、先の世界を憂いていた。 ひょっとしたらその子は大きな地震に会うかもしれない。 戦争を経験することになるかもしれない。 けれどそれより不幸は この世に生れ出ないことを僕らが決めてしまうことじゃないのか。 どんなことになるかわからないと たとえ僕らが悲観している世界でも 生れ出てくることがこの子にとって一番幸せなんじゃないのかと、 僕は妻の言葉の後の数分で結論を出した。 “それなら病院いかないといけないよね。大事をとらないと” 妻はありがとうと言って答えた。 こんな常識無視の、世間を斜めに見るような 損ばっかりしている夫婦の元に、 そしてなんでこんな世の中に 残念ながら予想が当たってしまったこんな世の中に 娘は生れてきたのだろうと考える時 きっと何かやることがあって生まれてきたんだろうとしか思えず そうでなきゃ、わざわざ苦労しになんか来ないよなと 僕は絶対に間違っていない答えをその度に出し続けます。 だからこそ 僕は娘を守るわけで、 守れるわけで 守れないわけがないのであります。 守れることはもうとっくに決まってる。 だから明るくなれる。 当たり前のことを当たり前じゃないように言われるのは 邪魔くさいし、時間の無駄。
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