禍の花

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 一際厚い氷に閉ざされたエルカ渓谷。  そこは生命の息吹が、大地の鼓動が、微塵も感じられない世界。  ひとたび空気が変わると、そこは細やかな氷のつぶてが荒れ狂う極寒の地。  白い闇の中に在るのは、獣の足跡。  けれどその足跡すらも、すぐに氷雪が覆い隠してしまう。  方向も定まらない虚無の空間。  そんな中に取り残された者は、ただただ絶望するしか無いだろう。  ……そう、本来ならば。 「――――」  ザクリ、と凍った雪面を崩すように穿たれた突き。耳を澄ますと、一定の間を置いてからまた再び音がなる。 「――ぐ……ぅ…ッ」  腕を伝って温かい血液が指先から零れ、一面を彩る。  霞んだ視界でその血を見下ろす。霞んだ視界にうつる紅は、すぐに白い雪が覆い隠していった。 「…………」  白い闇が容赦無く視界を覆う、それはまるでククロウの存在全てを掻き消すようだった。 “闇”といってもそれは一色ではない。地平線の彼方から、白と灰暗い夜色によって世界は分けられていた。  天と地。  昼と夜。  光と闇。  それは世界を包み込み、変わらぬ理の中を静かに巡っていた。 「……ッ?」  轟、と一陣の風が巻き起こり白い闇を掻き乱す。サラリとした粉雪が吹き上がり、夜色の彼方へと飛ぶ。  寒さより何より――幻想的なその光景に瞳を細め、ククロウは微かに息を吐き出した。 「花……みたいだ」  極寒な世界であろうとも、たとえ世界中の全てが凍りついてしまおうとも……ククロウは密かにこの花弁のような雪を好いていた。 ――雪さえなければ……と、皆はそう願うけれど。  雪を、大人たちは嫌う。  降り止まない雪は――不吉だと言い恐れ慄く。雪は人々の生活を、命を脅かす。  雪が全てを覆い隠して、世界は終わる。それが運命なのだと長老も言っていた。降り積もる雪を見る大人の瞳はいつも冷めている。まるでこの雪そのもののように――。 『雪のせいで、まともな恩恵は得られない。それこそ、雪のない他の國に移り住まないと……』
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