春のひとひら

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「これは分かるやろ。このまえおれが取材ば受けたときのもんたい。いやあ、まさかテレビに映ろうとは思わんかった。八十年生きてきてほんによかったよ。アナウンサーも熱心に聞いてくれてなあ。大変でしたね、おつらかったことでしょう、そう言ってくれてから。近頃の若い者は、こげんか話は好かんけんな。だーれん聞いてくれやせん。でもあん人はよう聞いてくんなさった。年のころはおまえたちとそげん変わらんくらいばってんな。こん前、この写真ばデイサービスに持っていったよ。デイサービスの職員たちも、さん、全国デビューやないですか。すごかですねえ、そう嬉しそうに聞いてくれよった。それに比べて、うちの家族の連中はなんや。おれがどげん戦争の話ばしてもぜんぜん耳すら傾けやせん。おれたちが若いころにそげなことばしよったら、じいさんからられよったばってんな」  今までの写真と違って、明らかにそれは素人が撮ったものだと分かるものだった。逆光だったし、手ブレで写真に写っている三人全員がぼやけてしまっていたし、何よりテレビの枠まで写ってしまっていた。私たちが擦り切れるまで見せられたDVDのワンシーン。おじいちゃんがレポーターから戦後何十何年かの特集のインタビューを受けたときのものだ。普段腰の重いおじいちゃんが珍しく福岡・天神まで足を伸ばした際に(壊れた扇風機を買い替えるためだ)、ちょうどテレビ局の取材が来ていた。大正生まれの人で、従軍経験があって、まだ存命の人は今や少ない。それでいて、おじいちゃんは頭もしっかりしているから、テレビ局からすれば渡りに船だったろう。だが、大きな落とし穴があった。うっぷんを抱え込んでいたおじいちゃんがテレビ局の必要以上に話しまくったことだ。いつもの調子で口角泡を飛ばし、日本が始めた戦争の愚かさ、天皇陛下の無念さ、そして何よ り自身の味わった苦しみについて。話しも話したり。延べ二時間も話した。一緒について行っていたお母さんが「お父さん、もう夕方になったけん、そのへんで……」とたしなめるまで。     
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