春のひとひら

20/23
前へ
/24ページ
次へ
 でも、今ならわかる。二十歳の私は人並みに遊び、笑い、勉強し、そして恋をしていた。でも、ちょうどそのころ、モノクロの写真の中に写っているおじいちゃんは戦地にいた。享受するべき青春を削り取られ、代わりに戦争がそこを埋めた。青春の尊さは奪われたことによってますます重くなり、それに応じておじいちゃんの中での苦労や恨みもそれに釣り合うように大きくなっていったのだろう。だからこそ、おじいちゃんにとっては自分の苦労は何よりも、特攻隊の死よりも重かったのだ。そして、誰かを恨み、責任を押しつけることが必要だった。そうじゃなければとうていその理不尽さに納得できないから。 「……凜香、取材ば受けたときテレビ局の偉い人が言うとったよ。あなたの話はすごく貴重ですって。住所を教えてください。また取材に伺います、っちな。ちょうど今年は戦後七十年やろうが。うちさい取材がくるやもしれん。もし取材が来たら外出許可ばもらって家さい帰ろうか。お母さんに伝えとけ。家ん中ば散らかしたまんまじゃいかんぞ、っち。居間ばきちんと片づけとけっちな。そいから、中牟田ん交差点とこの和菓子屋に連絡しとかないかんな。あすこのいちご大福ば食うてもらえりゃよかろう。テレビに映してもらったときはどんくらい人がおったかねえ。五人、いや十人ばかりおったろうか。わざわざうちんごたる田舎まで足を伸ばしてもらうっちゃけんな。ちゃんともてなさな。  本当にうれしかよ。戦争に行ってもなんのよかこともなかったけんな。おれたちよりほんのちょっと前に入隊した連中はちゃんと戦後に恩給をもらっとった。あと二か月やったとばい! あとほんの二か月。あともうちっと早く入隊しとったらおれも恩給ばもらえとったとに。そんな悔しか思いばっかりがあってなあ。     
/24ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加