春のひとひら

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家族の中でノックをせずに年ごろの女の子の部屋に入ってくるのは一人しかいない。おじいちゃんだ。いつもそう。大正生まれ、八十を越えるその年になっても、マナーというものをぜんっぜんわきまえていなかった。あるときなんかは私が外行きの洋服から家用のジャージに着替えているときに入ってきたことさえあった。私はすぐに気づき、なんとか自分のあられもない姿を隠そうとしたけど、ドアが開く音を聞いてからそれに対処するのにはやっぱり限界があって、意味もなく片足立ちになりながら、「出て行って」を繰り返していた。おじいちゃんはというと、まったく悪びれる様子もなく、家族やけん、よかやないか、と逆に不機嫌になりながら、私が強制的に部屋からしめだすまで、そのときはまだしゃんとした二本足をしっかりと地につけて私をにらんでいた。 「なんばしようとや」  いつものようにおじいちゃんが言う。文字がひしめくルーズリーフ、シャーペン、消しゴム。机の上に並んだこれら一式を見れば、誰でも何をしてるか想像がつきそうなものだけど、たぶんおじいちゃんだって気づいているはずなのに、あえてそれを聞く。おじいちゃんが話しかけるときの常套句。その先に出てくる言葉もいつも決まっている。だから私はあえて冷たくふるまった。 「見ればわかるやろ。勉強しようと。もうすぐ大学の講義のテストがあるっちゃけん」  完璧な演技だと思った。でも、二十年近く過ごした家族はやっぱりごまかせなかったらしい。 「おまえ、本当に勉強しよったとか? おれが見よったときは鉛筆が動いてなかったやんか」  おじいちゃんはにやついた笑いを口元に浮かべている。むかつく。自分が完璧だと思ったものを、いとも簡単に見破られてしまったのが悔しかった。 「またこんなに散らかしてから。ざまあなか」  おじいちゃんが床に散らばったままになっていたブラウスを拾おうとしている。腰をかがめ、一生懸命に手を伸ばしていた。 「そのままにしといて!」  大声でおじいちゃんの行動を止めさせる。     
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