目が覚めると、そこには……

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 どれだけ果てしなく長い年月を眠っていたのだろう?  目が覚めると、そこには、自分が理想とする世界が広がっていた。  ストレスのない、思い描いた全てのことが、スムースに行われる世界。  まるで、夢の中で、自分が主人公のドラマを、テレビで眺めているような感覚だった。  で、ふと、身の回りを見渡してみると、 「あれっ? 身体がない?」   どゆこと? 「えーーーッッッ!!! 自分の身体が、な、な、ないんですけどーーーッッッ!!!」  そう。  もう私たちは、その身を持たない、意識だけの世界を生きていた。  地球の温暖化が加速し、灼熱化(しゃくねつか)の果て、地球は滅びてしまった。  遥か昔、地球が存在していた頃、人間は、一個人ずつ魂と身体を有し、場所を共有していた。  それぞれ国と呼ばれた、いずれかの枠組みに属し、その共有スペースの中で、愛を育んだり、衝突したりしてきた。  諸行無常(しょぎょうむじょう)。  そんな言葉もあったらしい。人々は、その意味を考え、悩んだり、納得したりしていたと言う。  今は、その『()』の中を、私たちは生きていた。  全てのものには実体がなく、『(ゆう)』のない『無』の世界。  私たちの意識だけが生き、同時に、その意識である私たちがイメージした通りの自分が、イメージした通りの人生を生きている。  そんな映像を、意識の中で眺めている客観的な人生。  私たち本人である、意識の一人一人が、それぞれ思い思いに描いた、人生の映像を眺めている。  なので、時間や場所を共有することはない。  つまり、共有することがないので、互いに衝突することもない。  ストレスはないが、手触り感もない、無味無臭の人生。  まるで、グルメ番組に出演しているかのように、美味しいものを食べている自分の映像を眺めていても、味も匂いも分からない。  ストレスはないが、人の温もりを感じることすらをも、私たちは捨ててしまった。  意識である私たちの、奥底に眠っている、遠い記憶。  その遠い記憶である、人の温もりが、今は、いとおしく、恋しくなってしまった。  人と人とが交わり合い、温もりを取り戻す世界。  そんな地球を取り戻すために、私たちは生まれ変わり・死に変わりしながら、また、どれだけの、果てしなく長い年月を費やすのだろう。
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