第十章

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「店の客に聞いたって言いやがった。俺と朝子が仲がいいのを知ってる客って誰だよ。俺の知ってる奴か?って笑いながら聞いたら、引きつった顔して『知らない人よ』ってさ。」 「……」 「今、違うタバコ屋で働いてんだ。あそこは、わざと歌が忙しくなって辞めるっつって言った。」 「…店長ね?」 「そ。あれだけ店に通ってたら、まあバレちまうよな。」 そういえば店長は言った。 野田さんの奥さんの美容院は、お得意さんだと。 何度か店長と二人で写真を撮ったこともあるし、顔が知られてても不思議じゃない。 「…あの男には会ってるのか?」 「会ってないわ。」 「そうか…」 離れるのがイヤだった。 今日、ここで別れたら…また次はいつ会えるか分からない気がして。 「これ。」 帰り際、野田さんが携帯を差し出した。 「…どうしたの?」 「うち、携帯の払いは別々だからバレねーよ。もっと早くこうすれば良かった。」 「…払わせられないよ。」 「これぐらいさせてくれ。」 「……」 どんな手を使ってでも、野田さんを手に入れたい。 幸せになりたい。 そう思っていたのに。 急に。 本当に急に、ここまでして不倫を続ける事が虚しくなった。 「野田さん。」 「ん?」 「愛してるって言ったけど、奥さんとは別れるつもりはないのね?」 「……今日はそんな話はやめよう。」 「あたし、無理。」 「……」 「あたし、幸せになりたいの。誰かの愛人とかじゃなく、ちゃんとした妻になりたい。」 泣かないで、あたし。 「園と結婚するわ。」 「朝子…」 「さよなら。」 車を下りる。 めまいがしそうになった。 あたしは野田さんを幸せにしてあげられない。 一緒にいると、いつか出てくる欲で、野田さんを 奪いたくなる。 そのたびに、お互いが辛くなる。 もう、解放してあげるべきなんだ。 あたしは、亮太の時も野田さんの時も、潮時ってものを見過ごしていた。 ううん…気付かないフリしていた。 その結果が、これ。 あたしは男を不幸にする。 忘れる。 あの腕も、あの声も。 あたしのものにならない人。 一緒にいたって、無駄だ。 無駄。 そう思えばいい。
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