第一話 -雪割草-

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 久しぶりに入った父さんのアトリエ代わりの小さな部屋には、相変わらず絵の具の匂いが立ちこめていた。  床に散らばった何枚ものスケッチ。  正面に立てられたイーゼルにかけられた大きなキャンバス。  あと少しで完成を迎える北海道の自然。一面の銀世界の絵。  それは、冬の絵なのに、何故かとても暖かな風景だった。  父さんが北海道の冬景色を描きたいと言って、この地にやって来たのは、かれこれ半年ほど前のことだ。  放浪の画家、なんていうほど格好良いものじゃないけど、僕の父さんは全国の風景画を描いている、いわゆる絵描きの仕事をしている。  たまに依頼されて絵本の挿絵なんかを手掛けたり、デザイン系の仕事を受けることもあるけど、基本的にはキャンバスと絵の具を片手に全国各地を巡って、現地で描くことが多いという、かなり専門的な画家だ。  父さんの絵は綺麗で優しい。  見ていると気分が落ち着くような穏やかなものが多い。  ただ、さほど有名ではない、と思う。だから全部の絵にすぐに買い手が付くわけじゃない。  具体的には、描いた絵がある程度の数がたまると、個展を開いたり、画廊に持って行って絵を売って生計を立てているんだけど、本当に絵描きなんてものは、一般的なサラリーマンと違ってずいぶんと不安定な仕事だと思う。
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