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「今日の話、どこまで真紀さんが考えたの」
「半分くらいかな」
正直に答えられ、余計に笑いが止まらない。撫でられ続ける頭が気持ち良い。
「だから、もしも俺が明日の朝忘れたとしても、姉貴が覚えてるよ」
諭す口調に、思わず胸から離れる。改めて奏の顔を見ると、遠くでも見るように目を細めていた。
「…ごめんなさい」
「うん。今謝ってくれたことだけは、何があっても覚えてる」
そんなに優しく笑わないでほしい。せっかく泣き止んだのに。
「煙草、どうする?最後の一本」
「もらう。せっかくだから」
火を付け、ゆっくりと吸い込む。屋根の外では雨足が強くなる一方だけど、もう頭は痛くなかった。
「まずは深呼吸の練習からかなあ」
「卒業までにはなんとかなるだろ」
見ていて、とは私はまだ言えなかった。それでも応えたかった。息のできる場所まで手を引いてくれた、この温度に。
「奏、勉強楽しい?」
「楽しいよ。分からないことが分かると、安心する」
安心。なんとも奏に合う言葉だ。
「じゃあ、私もやる。見てみたい、安心」
「テストの合計点、中間より良かったらまた海来ようか」
煙草が燃え尽きた。缶の中に入れる。
「ちょっと分かった、深呼吸の仕方」
「そりゃよかった」
ただ、思い出せばいい。私の手を引くこの温度を、名前を呼ぶ唇を。
「雨、止んだな」
体を離すのが惜しくて、顔を上げられなかった。聞こえているのは波の音と、奏の少し早くなった鼓動だけ。理想の全てだった。それでも電車の時間はやってくる。
「予報ではひどくなるって言ってたのに」
「今だけかもな。帰るか」
片手で缶を持ち、反対の手は繋いだままだった。踏みしめる砂が湿っている。
「…歩きづらくない?」
「歩きづらいよ。だからお前がちゃんと前見とけ」
「はーい」
帰り道はいつもより少し長いけど、現実はすぐにやってくる。それでも、やるべきことが分かっているだけで、ずいぶんと呼吸がしやすかった。
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