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「ほんとはいっちゃんのお兄さんたちも呼びたかったんだよねー」
ーー少々酔っ払ってきているらしい桜は、残念そうに頬杖をついてそう言った。
「え、そうなのか?それはちょっと……やめといて正解なんじゃねえの」
後藤達はもとより、敬吾ですら顔を合わせたことがあるのは数回だけだ。
恐らくこの中で一番親しく話せるのは人との距離が異常に狭い桜であろうという、おかしな展開になりかねない。いや、絶対になってしまう。
それは良かったからともかくとして、確かに皆で祝おうと言うには人数はやや少ない気はした。
どうせ休みなのだからわざわざ金曜の夜など選ばず明日の昼にしておけば、大樹と百合くらいなら微笑ましくお誘いできそうなものだが。
そうなると、健太は無理でも美咲もかーーなどと敬吾は考えるが、いややはり人数が多くなると畏まる。彼らの橋渡しができるほど器用でもないしーー
これが最善だ、と頷いてフリッターをつまんだ。
料理も酒もどれをとっても美味しいし、本当に気軽で有り難い。
逸にもそう話してやろうとしみじみ思える席だった。
「俺動画撮ってもいい?」
柳田が楽しげにそう切り出し、桜と後藤がさっさと乗っかっているのも笑って見ていられる。
そうして桜が逸の写真を持ち上げ「今日は可愛い弟敬吾といっちゃんの結婚のお祝いでーす」などと口上を述べ始め、後藤もまた大げさな快哉を上げる。
照れ笑いで感謝を述べるしかない敬吾は、わざとらしく手渡されたーー中身のほとんど無いーーグラスを大袈裟に呷って空けてみせる。
「よっ!男前!!」
そう言った桜の声は大分だみ声である。
敬吾と後藤が揃って「おいおい大丈夫か」と身を乗り出すも、「そんな男前な敬吾くん!!」と桜は意に介さない。
「姉貴飲み過ぎ、次ジュースな」
「明日からスペインに行ってもらいます!!!」
「あ?」
「休み中みっちり行って来なよ!」
「あーはいはい、マジで酔っ払ってんなあ」
またも突拍子もないことを言う桜に、何故か今度は後藤はつっこまない。
同意してくれというように敬吾がそちらを見ると、後藤はごく平静な顔をして敬吾を見返した。
「いいねそれ。行ってくれば?」
「はぁーー?」
最後の良心、柳田はーーとそちらを見るも、これまた微笑ましげに携帯の液晶を注視して撮影を続けているらしい。
「……いやいやいや。何言ってんだよ行くわけね」
「なんでぇ?」
被せるようにそう言った桜の瞳が輝いている。
突如敬吾を襲う胸騒ぎ。
なんだこの嫌な予感はーーいや、嫌な予感などしない。何もしない。
そう自分に言い聞かせて、敬吾は過剰反応はしないよう、ごく当然の言い分を探した。
「なんでって逆になんだよ、まる一日かかんだぞ?移動」
「だからー?休み一週間あるじゃん、前後土日なんだからもっとあるじゃん」
「いやいやいやいや。……うんまあそうだな、じゃあ行く、って俺が言ったとしても急すぎだろ。無理無理」
海外など幾久しく渡っていないから事情はよく分からないが、そんなに急に航空券など取れないのではないか。
きっとそうだろう、間違いなくそのはずだ、うん。
そうだ、それにパスポートだって実家に置いてある。これはもうどうしようもない。如何ともし難い。遺憾だが。一人うんうんと頷いている敬吾に、相も変わらず平坦な顔をした後藤は思わせぶりに唸る。
「なんか予定あんの?」
「ある。実家行く」
桜がさっさと手を振った。
後藤はまた「ふぅーん」と言う。
「いやだからー、そういう問題じゃねんだって」
「チケットとかの話?」
「そうそれも。今からじゃどうにもなんねーだろ」
「なるほどね。さてここでご紹介致しますのが」
「おいやめろ」
「こちらの封筒」
「嘘だろ!!!」
勿体ぶることも驚くこともなく後藤はさっさと封筒を開け、中身を開いて敬吾に見せる。
「おいでませ、情熱の国スペイン〜」
「いや……、いやいやいやいやいや嘘だろ」
「出発明日の夜だからね、ちゃんと準備して。遅れないでね」
「……………………」
もはや言葉を失って鯉のように口をぱくぱくさせる敬吾の手に、綺麗に中身を収め直した封筒を恭しく挟み込んでやり後藤は最後に「行ってらっしゃい。」と言った。
桜はそれをにこにことーーいやにやにやと眺めている。
この下りは傍観するのが楽しかったらしい。
呆気にとられている敬吾はせいぜい「いや、でも」などと言うのが精一杯だが、「まだ屁理屈こねる気か」とでも言いたげな視線に、いやそれを感じる前に黙る。
もはや行かない理由がない。
「……や、でも、悪いって……いくらしたんーー」
「お祝いなんだから全然悪くねーし、キャンセルしたとこでキャンセル料掛かるだけだぞ」
「………………」
ーーそれは、そうだが。
徐々に身に沁みてくる現状に、敬吾は少し、どうしたら良いか分からなくなっていた。
あまりに突然過ぎてまだ信じられないが、どうやら本当にスペイン行きは決まってしまった。
決まってしまったのか、決めることが出来たのか、決めてもらったのか、嬉しいのか余計なお世話なのか有り難いのか怒っているのか申し訳ないのかーー
頭も心もぐるぐる回る。
が、我知らず染まっていく敬吾の頬に、桜は息を呑み、そして笑う。
そして、気づかなかった後藤がとどめを刺した。
「あとこの下り、岩井くん見てっから」
「はああああああ!!????」
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