第一章 春は憂鬱の香り

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「でも、アイツうざくない?」 「アイツ? 誰それ」 「相沢」  突然新田さんの口から飛び出してきたのは、私の名前だった。耳を塞ぐ暇もなく、私はその場に立ちすくむ他なかった。 「え~、なんで? がんばってんじゃん相沢さんも」 「でもちょっとピアノ弾けるからってさ、調子に乗ってない?」 「まあ、杏奈の言ってることちょっとわかる。なんか少し上から目線なところない?」 「あぁ~、『あんたら、ここの意味わかってないの?』みたいな感じあるね。でも、相沢さんがピアノ弾けるってみんなに教えたの、元はと言えば杏奈じゃん」 「そうだけどさ……私さ」  私はその『私さ』の続きを聞きたくなくって、足音を立てないようにその場から立ち去る。全速力で走ってもいないのに心臓がドキドキと激しく胸を打ち付けるのは、心の痛みを表しているからだ。悔しい気持ちも悲しい思いも、お前の方がうざいっていうのも、私はその全てを打ち明ける相手はいない。この世界に、たった一人も。  私は体調が悪くなったと嘘をついて、その日の練習を早退した。だからと言って家に帰って鬼のような厳しいレッスンを受ける気持ちになれるわけもなく、足は自然と、【子ども図書館】に向かっていた。     
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