第一章 春は憂鬱の香り

9/17
前へ
/158ページ
次へ
 思っていたよりも大きな声が出ていたみたいで、本棚の間から子どもたちがカウンターの様子をちらちらと見る。会話はOKとなっているけれど、あまり大きな声を出すのは周りの迷惑になる。それを彼らはよく知っているから、じっと嫌なものを見るような視線を私に向けた。居たたまれなくなった私は、春恵さんに会釈をして足早に【子ども図書館】から出ていった。数十メートル走ったあたりで、私はゆっくりとスピードを緩めていく。心臓は強く肋骨を打ち、うまく呼吸ができなくて肩が大きく上下する。急に走り出したせいで胸がドキドキと痛むのと、誰が読むかもわからないノートに自分の気持ちを書き記した後悔。その二つが頭の中を駆け巡る。私は振り払うように、もう一度走りだしていた。まだ革靴を履きなれていないせいで、家に着くころには両方の踵に靴擦れができていた。  私がまた【子ども図書館】に行ったのは、それから一週間後だった。あのノートが気になって気になって、出来たらあの愚痴をマジックで上塗りしようなんて考えて……私は放課後、重たい脚を引きずりながらやってきた。もちろん、この時点でも友達はできていない。 「高校、そろそろ友達できた?」 「全く!」  いつになったらこのやり取りをやめることができるだろう、そんな事を考えながら私はちらりとあの緑色のノートに目をやる。春恵さんが仕事に戻った隙に、私はカバンの中から家から持ってきた油性マジックを取り出した。もちろん、自分が書いた部分を塗りつぶすために。  何ページもめくって、私は自分の文字を見つける。でも……あの愚痴が頭の中に滑り込んでくるよりも先に、その言葉に向けられた矢印が私の目を引いた。 「……ん?」  私の丸っこい文字とは正反対の、少し刺々しい細い文字。見ただけで子どもが書いた言葉じゃないことが分かる。私はそれを指でなぞり、自分にしか聞こえないくらい小さな声で読み上げた。 「『本当に好きな事って、例えばどういうこと?』……?」     
/158ページ

最初のコメントを投稿しよう!

29人が本棚に入れています
本棚に追加