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「あのさ、よかったら話聞くけど」
そんなことを言われても普段の私なら「大丈夫」と言って終わりにしただろう。だが、もう泣いてるところを見られているし、何より和泉の声がびっくりするほど優しかったから、私は訳を話した。
「俺はこの手、好きだよ。頑張ってる手じゃん」
まるで少女マンガのような台詞で彼――和泉志稲は私の手を握り優しくなでたのだ。
「それにさ、ほら」
和泉はにこっと笑って手を見せた。私ほどではないが硬いマメがいくつもできている。
「筋トレしてるから、さ」
次の日から私はますます部活に身を入れた。マメはいよいよ硬くなり、手は私の好きな白い綺麗な手からどんどん遠ざかった。それは信じられないほど私の心を浮き立たせた。そしてほとんどごく自然に私たちは付き合いだした。私はもうからかわれても平気だった。むしろもっと傷だらけのマメだらけになれと思った。学校中の生徒がなんと言おうと、和泉だけは、和泉志稲だけは私の手を好きだっと言ってくれる。それで十分だった。だが、その成果を彼に見せることは出来なかった。ある日突然、彼は引越した。行き先も告げず、電話番号もアドレスも変えて。残ったのはますます隠したくなる手と部活を諦めなくてはならないほど故障した肘だった。いや、正確に言えば何の取り柄もなくなった女子高生だった。
私は待ち合わせ場所に着いた。
「失礼します。月刊首都の」
「やっぱり君か」
予想は外れて彼は私を覚えていた。求められた握手に応えると彼は嬉しそうに目を細めた。変わらないなと思った。その笑顔と握られた手の体温。今こそ聞こう。それでクレームになってもいい。さよならの理由を聞いて私は今日、この男から解放される。
「ジャーナリストになったんだね。さあ座って。話したいことがたくさんある」
彼は私に椅子を勧めた。話したいこととはなんだろう。さよならの理由だろうか。それなら聞きたい。そして本当にさよならする。
「て」
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