氷が音を立てる時

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氷が音を立てる時

 彼女は頬杖をついて伏し目がちに、ストローでアイスティーを掻き回している。  温度設定が低すぎる空調の音と、掻き回されて響く氷の演奏が鼓膜を刺激する。  この喫茶店には僕たち以外の客も多く、様々な人が談笑していて、窓の外には蝉が元気よく合唱している。だというのに、まるで画面の向こうのできごとのように音が遠い。  フィクションの世界に迷い込んだのかと錯覚するほどに僕たち以外の事象に現実味がない。あるいは、現実味がないのは周りではなく、僕たちなのかもしれない。 「だから……別れて欲しいの」  酷く退屈そうに、双眸で僕を射抜くように見つめる。  理由は僕が大事な時にそばにいなかったことのようだ。  彼女――佐藤伴音の親友が自殺をしたのは最近のことだった。遺書はないものの、屋上から落ちて、アスファルトと混ざり合ってしまったその瞬間を、目の前で恋人が目撃したそうだ。自殺した理由は不明。何ともショッキングなことだと思う。  そして、親友が亡くなって、それも自殺で。伴音は随分と憔悴した。それもそうだ。親友がこの世から自発的に原因も分からずいなくなってしまって、焦らない人はいないだろう。ともかく、僕は悄然していた彼女の隣にいてあげることはできなかった。その頃は仕事が忙しく、彼女に耳を傾けることができずじまいだった。  悲しい時に寄り添ってくれなかった。というのが彼女が別れを切り出す理由らしい。  申し訳ない、と思う。仕方ない、とも思う。  あっけないような終わりかただが、恋人が大変な時にそばにいないのは、別れるには十分過ぎる理由なのかもしれない。  未練は有る。僕は彼女、伴音を愛している。が、彼女が別れてくれと言うのならば甘んじて受け入れよう。仕方のないことだ。 「わかった」  その一言。4文字の言葉だけで、僕たちの恋人という名の契約関係は破局を迎えた。 「さよなら」  彼女が注文したアイスティーのグラスにまとわりつく水滴が天板を濡らす。氷が軽快な音を立てる。それを合図と言わんばかりに彼女は立ち上がりここから去っていった。  後に残されたのは空虚なグラスと、空っぽの僕だけ。  伴音が殺人犯だと知ったのはそれから数日後のニュースによってだった。
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