第一章 春

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詩季(しき)村にて採集した伝説・甲≫ その昔、見知らぬ男が一人で村にやって来た。 毛皮を買いに来たという。 男は、身寄りの無い村の娘と恋に落ちた。 二人はすぐに夫婦(めおと)となり、男はそのまま村に残った。 彼らは子宝には恵まれなかったが、たいそう仲睦(なかむつ)まじく暮らしていた。 ところが、ある年の冬、大雪と寒波が村を襲い、多くの村人が死んだ。 その中には娘も含まれていた。 妻を亡くした男は嘆き悲しみ、山の中で人目を避けるようにして、一人で暮らし始めた。 いつしか男は村の誰とも会うことがなくなった。 そして、長い年月が過ぎ去った。 時折、山中でオオカミと行動を共にする男を見かけたという者もいたが、確証はなかった。 死んでしまったのだろうと言う者もいたが、亡骸(なきがら)を確認した者もいなく、本当のところは誰も知らなかった。 男はオオカミになったのだ、と誰からともなく噂した。 オオカミが絶滅してしまった現在でも山から遠吠えが聞こえるのは、オオカミとなった男が人目を避けて生き続けているからだと、いつの頃からか言われるようになった。 【エノキ・ヤスユキ著『詩季村の伝説』より抜粋】
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