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「オオカミです」
「オオカミ──?」
「大きな声は出さないでください。大丈夫です、刺激しなければ人を襲うことはない、はずです」
私はゆっくりと出来るだけ小さな声でタロウさんに注意する。
「オオカミ──」
「ゆっくりとここを離れましょう」
タロウさんの腕を引いたが彼は動かなかった。
「タロウさん、行きましょう」
彼は棒立ちのまま動かない。
私は彼の腕をもう一度引っ張る。
彼の顔がこちらを向いた。
目付きが先程までと違っていた。
別人のようだ。
「分かった。いや──思い出した、すべて」
そう言って、彼はゆっくりとオオカミの方へと歩いて行く。
何をするつもりだろう。
いくら刺激しなければ大丈夫とは言え、この状況で近付くのは危険だ。
タロウさんが右手をオオカミの方へと差し出した。
そんなことをしたら噛まれてしまう。
私は思わず目を閉じる。
次の瞬間には彼の悲鳴が聞こえてくるだろうと覚悟した。
しかし、何も聞こえてこない。
恐る恐る目を開けると、彼はオオカミの頭を撫でていた。
オオカミは彼を襲うどころか足元にすり寄っている。
まるで忠実な猟犬が主人にするかのように。
「急ごう、俺達には時間がない。今度こそ、五年でなんとかしなくては」
彼はしっかりとした口調で、確かにそう言った。
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