第一章 春

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「オオカミです」 「オオカミ──?」 「大きな声は出さないでください。大丈夫です、刺激しなければ人を襲うことはない、はずです」 私はゆっくりと出来るだけ小さな声でタロウさんに注意する。 「オオカミ──」 「ゆっくりとここを離れましょう」 タロウさんの腕を引いたが彼は動かなかった。 「タロウさん、行きましょう」 彼は棒立ちのまま動かない。 私は彼の腕をもう一度引っ張る。 彼の顔がこちらを向いた。 目付きが先程までと違っていた。 別人のようだ。 「分かった。いや──思い出した、すべて」 そう言って、彼はゆっくりとオオカミの方へと歩いて行く。 何をするつもりだろう。 いくら刺激しなければ大丈夫とは言え、この状況で近付くのは危険だ。 タロウさんが右手をオオカミの方へと差し出した。 そんなことをしたら噛まれてしまう。 私は思わず目を閉じる。 次の瞬間には彼の悲鳴が聞こえてくるだろうと覚悟した。 しかし、何も聞こえてこない。 恐る恐る目を開けると、彼はオオカミの頭を()でていた。 オオカミは彼を襲うどころか足元にすり寄っている。 まるで忠実な猟犬が主人にするかのように。 「急ごう、俺達には時間がない。今度こそ、五年でなんとかしなくては」 彼はしっかりとした口調で、確かにそう言った。
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