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最後まで実感はあまりなかったけれどきっと彼は実在していて、いまもライブに足を運んだ女たちに、偶像として愛を振りまいているに違いないだろう。でも、わたしは彼岸へ渡った死人を命日に思い返すときと同じように、過去の言葉で彼について語っている。それはつまり、きちんと正しく、さようならを済ませたということなのだろう。
夕食を摂り終え、流し台に皿を置いた。蛇口を捻ると水は直線をつくるように流れ出し、皿の縁にぶつかると扇形に広がってみせた。蛍光灯の光を反射して、ささやかな光の粒を回転させながら放射線状に重なっていく飛沫は、地方のライブ会場の前にあった噴水に似ていた。温度のない記憶でも、それは確かに愛の残滓だ。手元に残ったブロマイドとチケットの半券と同じように。
「グラビアアイドルの彼女ができて炎上しませんように」
蛍光イエローのスポンジに手を伸ばしながら、どうかあの笑顔でたくさんのひとを幸せにして下さい、と祈りを込めて呟いた。
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