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たとえばわたしが村上春樹の小説の主人公であったなら、家にはレコードプレイヤーがある。ワンルームの寂しさを洒落た物悲しさで中和するかのように、ジャズが流れているだろう。絞ったヴォリュームで流れる音楽に耳を傾けながらワインを口に含み、酸味を甘くくるんだだけの大雑把な味わいに、やれやれと僕は肩を竦めた。安いワインは、特別ではないものを浮彫にする。夏の暑苦しさから逃れようと一晩を共にした女の寝返りのせいで、注意深くさめないようにしてきた夢からさめたような心地になる。だから僕はパスタを茹でるときにはジャズを聴いて、チーズが食べたくなったら恵比須のバーに行く。ワイングラスのに付着した水滴が僕の像を映して流れるのをじっと観察したあと、僕はパスタを茹でるのにふさわしい音楽を流すためレコードプレイヤーに手を――伸ばしたいところではあるが、人ごみに紛れて見失われることが多々あるわたしは村上春樹の小説の主人公で
はなく、パスタをスパゲッティと呼びたい地味なOLである。地味なOLは、冷凍庫を開けて冷凍お好み焼きの袋を手に取るだけだった。
お好み焼きの表面には、おじいさんの髭の剃り残しみたいな白い霜がびっしりとついていた。そして、冷凍お好み焼きを皿に盛り付けて電子レンジにほうり込むあいだ、そのわずか20秒くらいの時間に、わたしは彼との出会いを反芻していた。彼。彼はいつだってわたしより高いところに立っていた。電子レンジのなかで、ゆるい湯気を立ち昇らせるお好み焼きと同じような距離感である。透明な隔たりを挟んだ向こう側とこっち側。彼を変えることが出来ない距離に初めから立っていた。だからわたしは、向けられた笑顔に嘘が混じっていないことを信じもしない神に祈り続けた。
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