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漫画やアニメ、またはゲームの、いわゆる二次元に存在するキャラクターに対して、また俳優や性別問わずアイドルの誰かを、とっておきの、お気に入りの、いわゆる推せると強い実感が伴う洗礼を受けたとき、わたしたちは沼る、と言う。そのキャラクターなり人物なりが持つ底なしの魅力にただ沈んでいくだけ、知れば知るほど好きが重くなる、そして何よりも抜け出せない、溺れ死ぬ、という心情を底なし沼に沈んでいくという、実際には殆どのひとが体験したことがないであろう現象にかけて、そのような造語が生み出されたのだろう。そしてその造語が挨拶のように気安く飛び交うということは、いかにわたしたちがたやすく二次元のキャラクターや三次元のアイドルに沼ることを証明しているのであろう。
しかし底なし沼だと思いきや、実は底があったりする。沼はあくまで沼で、ブラックホールではないのだから当たり前のことだろう。底にたどり着いた人間――すなわち推せると強い気持ちを抱いていたキャラクターなり人物に対し、その強い気持ちがふと限界を迎えたとき、人は「降りる」という。ファンを「降りる」ということなのだろうが、沼に沈んでいたわたしたちが、どこへ降りるというのかわたしはひそやかに疑問を抱いている。結局オタクというものは終わりも始まりも関係なく下へ下へと降下していく運命を背負った悲しみの戦士なのだろうか。とにもかくも、「降りる」という言葉もそこそこ顰蹙を買いながらツイッターの非公開アカウントから、マクドナルドの女子高生の会話でも頻繁に投げ交わされているので、なんだかんだ愛も永遠ではなく、選択権はオタク側にあるということの証明なのだろう。
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