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 収入は良いのだからもっと良いところに引っ越せばいいのにと芦屋麻衣は言ったことがあるが、兄の太一は住み慣れたここでいいと言って大学生時代からずっとこのボロアパートの二階に住んでいる。  まばらに生えた雑草を踏みながら芦屋麻衣は太一の部屋に向かった。駐車場に太一の軽が停まっているのが目についた。  芦屋麻衣がT研究所に確認したところ、太一は二週間ほど前から顔を出していないという。T研究所は特殊な勤務体系をしているようで所員が何日も顔を出さないなんて事はよくある話らしいが、芦屋麻衣は駐車場に停まる太一の車を見て得も言えぬ不安に駆られていた。  もっとも太一の上司を名乗る男性曰く、三日に一度の頻度では電話で業務的なやりとりをしていたようで、三日前に太一と話をしているという。だから太一の消息が不明なのはほんの三日程度の間の話だ。不安を覚える必要はない。  母親曰く「何度かけても繋がらない」らしいが、たまたまスマホを無くしでもしているのだろう。そう芦屋麻衣は自分に言い聞かせてアパートの管理会社から預かった鍵を握り太一の部屋を目指して所々塗装が剥がれた鉄の階段をのぼった……時であった。     
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