名和さんの話 前編

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何の事だか分からずに、「えっ」と言った俺を見て、フフッと笑った名和さんは、「紗都」と一言だけ残した。 「あぁ。その節は、本当ありがとうございました」と、慌てて礼を言う。 あの移動発表の翌日、出勤して直ぐに、名和さんには、『昨日は、どうもありがとうございました』と、礼は伝えていたのだが、周りには同僚がウロウロしているような状況だったので、名和さんも『これから大変だろうけど頑張ってね』と、無難に返してくれて終わっていた。 それから、二人でゆっくり話す暇も無かったから、そう言えば、名和さんと紗都さんの話をするのは初めてだった。 「そんな改まらないでよ、大した事した訳じゃないし」 そう言って、焼酎を口に運ぶ。 「いや、でも、名和さんに手伝って頂かなかったら、無理だったかもしれません」 「大袈裟よ。…でも良かったね。もう紗都、素直になれないかと思ったわ」 「本当に……」 感慨深く思い返す。俺も、もう無理だと思っていた、あの時は。 「金澤の愛の力ね」と、少し戯けたように言った名和さんは、何となくだけど、いつもより機嫌が良いように感じた。 「紗都の事はさあ、ずっと気になってて、あんた達、お互い好きだっていうのはバレバレなのに、もう焦ったくて。……でも、分かるんだよね、紗都の気持ちも。怖くて、なかなか踏み出せない不安な感じが伝わって来て、やっぱ紗都も乗り越えられないのかなって、半分諦めてたのよ」 紗都もって…… 「名和さんも?……あったんですか?」 「フフッ。悪い?」 「いや、そんな」 「遠い、遠い昔の話だけどね」 そう言って、名和さんは再び視線を遠くに向けた。
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