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鎌倉の町の片隅で蠢く野望
その日は、夏の気配を鎮めるように朝から霧雨が降っていた。
樹齢100年を越えた木々ばかりの背丈の高い叢林は、深閑として、枝葉の隙間を縫うように落ちてくる細かな雨は、シダ類と木々の間に開かれた石畳の道を黒々と濡らしている。
雨を倦んだか、かしましいはずのアブラゼミの音は響かず、野鳥の声さえ落ちてこない。
緩やかに勾配のついた石畳の道に沿って続く低い断崖の下、雨で増水した側溝の水の音ばかりが響く。
そこに奇妙な音が混じった。
重いものを引きずるような音だ。
それは石畳を緩慢と、しかし迷いなく歩く男から聞こえてきた。
わずかに右足を引きずっている。その音のようだった。
頭を剃ったその男は黒一色の僧侶が身につける法衣を着て、まるで叢林の気配に溶け込むようにうつむき加減で歩いている。
冷たい霧雨に傘もさしていない。
男は叢林が切れ、大きなお屋敷が連なる道の手前で立ち止まった。
そしてようやく顔をあげた。
影が落ちているわけではないのに、男の顔はひどく曖昧だった。
ただその抜けるように蒼味をもった顔色が、枝葉が落とした暗さの中で寒々しい。
男は境界のように分かたれた明るい霧雨の向こうをみやった。
「ようやく。……ようやくですぞ、御所様」
それからふと呼ばれたように右手の方を見た。
その方角には、人がすれ違えるほどの細い路地が続く。砂利道に歩行者のためだけに質の悪いコンクリートのタイルが敷かれている。
ぼけたように目や鼻、口などが曖昧な男の顔の中で、赤い口がほかりと開いた。声もなく笑ったのだ。
「待っておれ若狭。もう一度その腕に一幡を抱かせてやろう……」
僧衣の男は一歩暗がりの中から足を踏み出した。
黒衣の裾が陽炎のように揺らいだのも一瞬、男は昂然と頭をあげて右手の路地を歩き始めた。
その顔は、纏わりついていた叢林の影をはらったかのようにくっきりと目鼻立ちを露わにしている。
ただ病的なまでに青い顔色と、引きずるような足音だけは変わらなかった。
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