優しい呪いの使い方

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*  翌日。わたしはいくつものスプレー缶を玄丸に持たせ、『土屋書店』の前にいた。  まっさらなシャッターの前で、ツナギの袖をまくる。後ろに立った玄丸に手を差し出し、真新しいスプレー缶をそこに乗せてもらう。 「玄丸、何か別の汚れてもいい服に着替えられない? いつも言うけど作業にスーツは目立つって。一緒にいるわたしまで一気に異様感がアップ」  玄丸は不服そうに口を真一文字にした。 「冴子さま。わたくしは、いかなるときも政府の一員として働いていることの自覚を持っていたいのです。第一、わたくしは冴子さまの小間使(こまづか)いではありません。秘書です」  同じことじゃん、とは言わないでおいた。どうせ面倒なことになるのだ。 「総理だってゴルフのプレー中にはポロシャツだ」 「わたくしはゴルフをしません」 「めんどい式神(しきがみ)」  その言葉に何か言いたげな彼ではあったが、口をつぐんでいた。よけいなことを言えば、ただの人形(ひとがた)に戻されてしまうことをわかっているのだ。  それから小一時間ほどをかけて、シャッターいっぱいに絵を描き上げた。描くものや構図さえ決まっていれば、あっという間なのだ。 「――――わたしができるのはここまでさ」  そこには、優美な朝もやをバックに、扉を開け放った白い大きな鳥籠(とりかご)の絵があった。
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