第六話

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 あの時、東條の家を捨て、柚花の手を取って逃げていれば、今とは全く違う生活が待っていたかも知れない。授かった子供の成長を二人で見守る、穏やかな日常……そんな日々が、迎えられたのかも知れない。  だが結局、聡一郎は散々自分を癒してくれた柚花を見捨て、彼女が恐らく自身の全てを懸けて託してくれた息子すら、薄暗い蔵へと追いやってしまった。  あの頃はとにかく香夏子から柚斗を守ることに必死だったが、そんな事情など知る由もなく、日々蔵の中で成長している柚斗を見ていると、最早聡一郎が守っているものは何なのかがわからなくなる。  疲弊の滲む顔を覆って、聡一郎は重苦しい息を吐く。自分は、柚花との約束も、柚斗のことも、何も守れなかったのではないのか。  香夏子にはもう忘れろと言われたが、日に日に柚花に似てくる柚斗の存在を、忘れることなど出来るはずもない。だが今の聡一郎に出来ることは、精々柚斗の状態をモニター越しに日々チェックすることくらいだ。  そう言えば今朝、柚斗の存在を他言しないよう香夏子から強く脅されている使用人から、最近柚斗があまり食事を食べていないようだと報告を受けていた。梅雨も半ばに入り、連日蒸し暑い悪天候が続いているので、夏バテでもしているのだろうか。蔵には空調設備も完備しているが、そうだとしてもさすがにここ最近はすっきり晴れる日も無く雨ばかりなので、聡一郎ですら身体の怠さを感じている。     
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