3/3
前へ
/3ページ
次へ
「元樹?!」 両手でそっと金魚を包み込みながら階段を降り、玄関に向かおうとすると、リビングから母さんが血相を変えて飛び出してきた。 「元樹、どうしたの、どこか行くの?!」 追いかけてきて腕を掴もうとする。僕は思わず身を引いた。 「……金魚が、死んだんだ」 そっと手を開いて、手のひらにのせた金魚を見せた。 「また庭に、埋めてやるんだ」 「ああ…庭に…そうね…」 ほっとしたような、がっかりしたようなため息とともに、母さんが頷く。 「…母さんも一緒に行くわ」 そう言って僕の隣でサンダルを履く母さんの頭が、いつのまにか僕の肩の辺りにあった。見下ろしながら、白髪が増えたな、と思う。玄関の扉に伸ばした腕は細くて、手は荒れていた。 あの日。 始業式の朝も、母さんはこうして玄関のドアを開けてくれた。 ふっくらした手で、僕の頭をぽんと叩き、忘れ物ない?と微笑んだ。 大丈夫、とまだほんの少し母さんを見上げる位置から答え、だけど僕はそこから1歩も動けなくなった。 どうしてかはわからない。足が動かない。玄関から外に出ることができない。どうしても動けなくて、始業式を僕は休んだ。 そしてそのまま、学校に行けなくなった。父さんや母さんは僕をいろんな病院やカウンセリングやフリースクールとか何とかに連れていこうとしたけれど、それもだめだった。 家から出られなくなって、あの日から僕はただ、自分の部屋で、金魚の世話だけをして生きていた。 母さんがドアを開ける。 僕はそっと一歩を踏み出した。 外に、出られた。 庭の隅で金魚を埋める。 後ろで母さんが息を詰まらせ、泣いているのがわかった。4年ぶりに日の光の下にいる息子を見て、泣いている。 母さん、ずっと心配かけてごめんね。 「夏休みが終わるまで生きてない」 そう言われた最後の金魚が死んだ。 僕の長い長い夏休みも、やっと、終わる。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加