綿貫(新人)

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 車から工具箱を持ち出すと、もときた道を駆け戻る。椿の垣根が美しい。その影に、こちらを心配そうに見つめる小さな人影。 「遠藤さん、お待たせしました」 「あ、綿貫さん。ごめんなさいね、こんなことお願いして」  遠藤さんは70歳を過ぎたおばあさんで、築40年のこの家に一人で住んでいる。足腰があまり丈夫じゃなくて、動作がとてもゆっくりだ。ゆっくり動けばこなせることもあるけど、こなせないこともある。例えば、戸棚の扉の立て付けを直す、とか。 「ほんとに助かるわ。扉を変に引っ張るみたいにして開けたのが良くなかったのかしらね。ガタって落ちてきて、頭に当たっちゃって、たんこぶできちゃった」  何でもないことのように話すけど、きっと怖かっただろうし、心細かっただろう。  ドライバーを取り出しながら 「あ、一応お聞きしますけど、これを機に戸棚を含め台所をリフォームするっていうのは……」 「このお台所、主人と家を建てるってときにすごくこだわってわがままを通してもらって作ったの。だから、どんなにくたびれて見えても、変える気はないのよ。ごめんなさいね」 「いえいえ、分かってましたから。すごく居心地のいいキッチンですよね」  僕はすぐに首を振った。強く勧めるつもりは全くない。とりあえず聞いておかなきゃいけないと思っただけだ。曲がりなりにもリフォーム店に勤めているのだから。  扉は幸いねじが緩んでいただけだったから僕でも直せる。ついでに、外れていない他の扉も確認する。よし、他は異常なし。 「はい、直りましたよ。試してみてください」  遠藤さんは踏み台に乗って、いつもしていたように手を伸ばした。きしむこともなくスムーズに開いたのを見てぱあっと表情が明るくなった。 「まあ、元通りに直ってる。ありがとうね、綿貫さん」  遠藤さんは、お礼にとおはぎをくれた。
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