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開幕:天に拝し、神風を賜る
一つ、土を踏みしめるたびに彼は己に巣食う夜叉を吐く。一つずつ地に落とし、心を無にするべく登る。山を登る。
しかし、無の境地へと達すれば何が残ろうか。邪の如き心の悪雲を取っ払えば、そこに待つのは無であろう。
無。
無心。
心を亡くせば跡形もなく、内に潜めた怨みも消え失せよう。
彼は山頂に到達するまでに夜叉をすべて除いた。そして、骨と皮だけとなった震える手で紙を広げる。かつて見目麗しく瑞々しかった声音でうたうように祝詞を上げた。
山の頂きに立てば、また祈りを捧げば、己が何者であることすら忘れられるのだ。
みすぼらしい手を重ね、祈ること七日。
光の帯から降り立つように天津神は囁いた。
――そなたの内を見せよ――
密やかな音が、枯れかけた耳の奥へ流れ込む。天津神か、はたまた禍津神だったか。
しかし、すべてを捨て去ったはずである。
彼は応えずにただただ祈りを捧げるのみ。すると、神は更に彼の耳元に近づいた。
――潜めたものを晒すがよい。さすれば……
その言に、彼はふと眉を上げた。僅かな隙きが侵入を許す。
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