420人が本棚に入れています
本棚に追加
「…………」
「美味しいごはんを作るということは、食べてもらう相手を想って作るんだ。夕食、作ってくれてるんだろ? きっと前野さんは君や君のお父さんを想って作っているはずだ」
「……うん」
「拒絶も食わず嫌いも同じようなもの。まずは食べてみなければ何もわからない。そして前野さんのこともまずは知らないと何もわからない。そうだ、牛肉の肉じゃがも食べてみてくれ。冷めてしまうからな」
言われた通り環奈は牛肉の肉じゃがを食べた。こちらには、甘い肉の脂の香り、そして強いコクが加わっている。
「美味しい」
「いつものやつだからな。肉じゃがはお母さんの味だったな。前野さんの肉じゃがが食べられないのは、お母さんとの思い出が上書きされてしまうんじゃないか、そんなことも言っていたが、それは違う」
「ち、違うかな?」
「ああ。味の記憶はちょっとやそっとのことでは消えないさ。おふくろの味ならなおさらだ。お母さんの味で君は成長してきた、その味と思い出は魂にまで刻まれている」
「そうだといいな」
「これからは豚肉の肉じゃがになるかもしれない。でも二つの肉じゃが、同じように美味しく楽しい思い出になればいいな」
すると環奈は箸を手に取り肉じゃがを食べ始めた。豚肉も牛肉も、どちらもだ。津田の言葉と母の思い出を噛みしめるように、一口一口味わって。陽菜子もその様子を温かいまなざしで見守る。
二つの器は空っぽになった。満足そうに環奈は箸を置いた。
「ごちそうさまでした」
満面の笑みを浮かべる彼女に津田も笑顔を返す。そして環奈は席を立ち、陽菜子の方を向いた。
最初のコメントを投稿しよう!