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あの日のことは今でも忘れないし、一生覚えていると思う。
仕事中に鳴った携帯電話。登録されていない番号からの通知。
通話相手からの淡々と現実を突きつける声。
会社を飛び出し、駆け込んだ病院。
ベッドに横たわり、意識はあるが気まずそうに微笑む妻。
病名を聞き、頭が真っ白になった。
思い起こせば、こうなる前兆はいくらでもあったのだ。
だが僕は、そのことから目をそらし、楽しいだけの現実に酔いしれた。
酔いから醒めた僕は、醒めているにも関わらずフラフラとよろめきながら妻の元へと戻る。
妻は謝っていた。黙っていてごめんなさいと。何回も何回も。
恐らく僕と付き合う前から自分の運命は悟っていたのだろう。
妻が謝ることなんてひとつもないのに。
僕は「君は悪くないんだ」の一言すらいえず、ただ茫然としていた。
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「覚えてる? 君が入院する前に始めた家庭菜園。今年もまたトマトが実ったよ」
『』
「でしょ? 大したものでしょ? 仕事やめて農家にでもなろうかな、なんて」
『』
「はは、分かってるって、そんな簡単じゃないってことくらい」
「今日はこのトマトを食卓に並べようかな」
トマトは酸っぱく、僕は顔をしかめた。
妻は微笑んでいた。
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