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ふう。恵美子は窓の外の景色を眺めてひと息ついた。
制服のエプロンを外しながらふと考える。
冷やし中華の事は言わない方が良かったかしら。
でもあれは本当に忘れられない出来事だったもの。
そういえば、瞬くん、あれからどうしているかしら。
元気に過ごしているといいのだけれど…。
松川恵美子が片付けようとしたゴミ箱に冷やし中華麺の袋を見つけたのは、
今から3年前、2014年12月のことだった。
自分から患者さんに余計な事を話しかけないようにしている恵美子だけれど、
その時ばかりは思わず「ヨシノさん、冷やし中華食べたかったんですか?」
と尋ねてしまった。
80歳になるヨシノさんは軽い認知症のある患者さんだったが、
普段から清掃員の恵美子にも気さくに話しかけてくれる白髪の優しいご婦人だった。
ヨシノさんは恵美子の方に体を向けゆっくりと起き上がると、
「ああ、それね、私が冷やし中華を食べたがったら孫の瞬が買って来てくれたの。」
と、にこやかに話し始めた。
「そうだったんですね。」恵美子はゴミ箱を床に置いて相づちを打った。
「でもねえ、麺だけじゃあ、どうにもねえ。」
「洗面台はあっても台所はないですからねえ、ここには。」
「そうなのよ。瞬ったら、イライラして『じゃ要らねえな』って捨ててちゃったの。
年頃の男の子は難しいねえ。」
口では困ったと言うヨシノさんだが、むしろ何だかとても嬉しそうだった。
掃除を終えヨシノさんの個室を後にした。
中華麺が捨てられていたのはそんな事情があったのかと思いつつ
恵美子はふと遠くを見つめた。
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