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「何、今の『あーあ』って」
思わず漏らした声を、耳ざとくハルカ先輩は拾ったみたいだった。くるりと振り返って、奏太を見ながら後ろ歩きに道を行く。両手には黒い紙袋が大事そうに抱えられていて、袋が小さいのか楕円状のクッキー缶が端っこからひょいと顔を覗かせていた。それらを纏めて上から下までジロジロと眺めた奏太は、大げさに肩をすくめて見せた。
「いや、罪作りな人だなあって思って」
ちらりと振り返って先ほどの高校生男子を見れば、ハルカ先輩の魅了が未だに持続しているのかぽーっとした顔でこちらを見つめたままだった。流石にハルカ先輩のデート相手である奏太と目が合えば、さっと気まずそうに視線を逸らすけれどーー奏太はもう一度、今度は口に出さず内心だけで「あーあ」と声を上げた。今の彼、間違いなくハルカ先輩に落ちた。
「あんまりあっちこっち愛想振りまくの止めた方がいいっすよ。もうすぐ籍入れるんでしょあんた」
あんまり他人の恋心とやらを弄ばないであげてほしい。見知らぬ他人、この場限りですれ違うだけの人間だとしても、そういう小さな欠片が一生ものの思い出になる人間だっているのに。
「しょうがないじゃん。可愛い子には誰だって振り向かざるをえないでしょ」
抗議の意味を込めてハルカ先輩に向き直れば、ハルカ先輩は案の定グロスの塗られた艶やかな唇の上ににんまりとした笑みを浮かべてそんなことを言ってのけた。「奏太だってそうだったじゃん」と、さらに追撃。それを言われると奏太は何も言えなくなる。
「ま、見惚れてるだけなら、明日には昨日すれ違った子は可愛かったなぐらいで、それ以上心の進展はないよ」
この人の質の悪いところって、自分がそこらの女の子たちよりもずっとずっと可愛いことを自覚しているところじゃないだろうか。確かにハルカ先輩は見た目は可愛いけれど。悔しいが、奏太だってハルカ先輩のことは可愛いと思ってしまう。念のためもう一度言う、すごく悔しいが。奏太はリュックサックを背負いなおしながら、はあ、とこれ見よがしに溜息をついてみせた。
「……皆、完全に騙されてますよねー」
「夢は見れるときに見させておくものだよ、青少年」
くるり、ひらり。白いスカートの裾をまた踊らせてハルカ先輩は前を向く。底の浅いパンプスが、たんたかたんと軽くステップを鳴らす。
もうすぐ、奏太の家だ。
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