娘の一言

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 静香の部屋は、一人暮らしの若い女の子の部屋にしては余計なものがあまりなく、シンプルだった。みずみまで掃除が行き届き、小ぎれいに整頓された家具は趣味のいい明るい色の籐製品で統一されていた。強いて女の子らしいといえるのは、うさぎのぬいぐるみがベッドの枕もとに置かれていたことぐらいだった。 「まあ、そこに座って」  初めて女の子の部屋に入ってどうしていいかわからず、所在なさげに立っていた哲也に静香が声をかけた。 「うん」  二人掛けのソファーに座る。静香がコーヒーを淹れるためにキッチンへと立ったのを機に、哲也は改めて部屋の中を見回す。すると、小さな机の上の写真立ての中のあった一枚の写真が目に入った。その瞬間、哲也の心は凍りついた。すべての重さが半分になっていく。  そこには、小さな女の子と手を繋いでいる中村隆二の姿があった。中村という姓はありふれた姓であったため、中村静香から中村隆二を思い浮かべることはなかった。それに、顔も隆二と静香は全く似ていなかった。 「ああ、その写真ね」   二人分のコーヒーをお盆に乗せて近づいてきた静香が哲也の目線に気づき言った。 「私が5歳で、兄が中一の時の写真」 「そう」  隆二に歳の離れた妹がいることは知っていた。哲也は静香の顔を見ることができなかった。 「私が一番好きな兄の顔なんだ。いい笑顔でしょう。もう亡くなっちゃったけどね…」  前髪に隠れて目の動きは見えなかったが、きっと濡れていたに違いない。 「そう」  自分の声が水中をゆっくり浮上するあぶくのように思える。 「さっきからどうしたの。『そう』としか言わないし…、怖い顔してるし…」 「ごめん。あまりの偶然に、何と言ったらいいかわからなかった。彼と僕は小、中と一緒だった。同じクラスになったこともある…」  何も知らない静香の顔にパッと陽が射した。 「えっ、ほんとう? 嬉しい」  静香の素直な気持ちなのだろうが、哲也の胸の奥が鈍く疼いた。 「ねえ、兄ってどんなだった。なにせ兄が亡くなった時、私まだ小さかったから記憶があんまりないんだ」  『そんな残酷なこと訊くなよ』と、心の中で応える。
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