娘の一言

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 何も答えない哲也に代わりに妻が答えていた。 「それがさあ、引っ越しの時になくしちゃったて言うのよ」 「ええー、へん。何か見られたくない写真でもあったんじゃないの」  紗耶香が半分おもしろがりながら言う。だが、紗耶香の言ったことは半分合っていた。本当のことを言えば、高校時代の卒業アルバムはあった。だが、小、中の卒業アルバムは意識的に捨てたのである。 「紗耶香もそう思う?」 「絶対おかしい。卒業アルバムなんて大事なもの、なくすなんてあり得ないもの」 「そう思うでしょう。そこがママが今でも謎に思っているところ」 「二人とも何を勝手に想像を膨らませているんだ。あの当時、父親の仕事の関係で引っ越しが多くて、母親がたまたま間違って捨ててしまっただけだよ」  自分の声が妙に軽い。 「ふ~ん」  二人がまるで声を合わせたかのように言うが、哲也はテレビに夢中になっている素振りをして無視する。やがて、二人は別の話題に移っていった。  哲也は、先ほどから自分の頭の中に降ってわいた思いに追われるように、テレビを消して書斎へと向かった。妻と娘は話に夢中で、すでに哲也には何の関心も抱いていないようだった。書斎に入り自分一人になると、ようやく少し心が落ち着いた。窓にへばりついた闇を見つめながら、心の中にある中学校の卒業アルバムのページをそっと開く。  哲也は一人っ子で甘やかされて育った分、わがまま放題で内弁慶な子だった。一方で、そういう子にありがちな人見知りで、外面は大人しい子でもあった。小学校に入ってもみんなとなかなか打ち解けることができず、いつもひとりで過ごすことが多かった。そんな哲也を待ち受けていたのはいじめだった。  無視から始まったいじめは、やがて、教科書が隠される、机の中に「ウザイ」と書かれた紙が入れられる、筆箱に針が入っている、下駄箱の靴に泥を詰められている、廊下でわざとぶつかられる等々にエスカレートしていった。あの時は、自分の居場所から自分が剥がされていく感覚だった。 「花島君」  振り返ると、隆二が立っていた。当時学級委員長をしていた隆二から声をかけられ、哲也はどうしたらいいかわからなかったが嬉しかった。  その日、哲也は久しぶりに空を見上げた。吸い込まれそうな紺碧色がどこまでも広がっていた。
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