娘の一言

5/8
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ
 今の自分は柔和で、温和で人当たりがいい人と思われている。会社でも、力のある上司にうまくすり寄り、要領よくそれなりの出世をしてきた。何のために歳を重ねてきたのだろう。歳月は自分を鈍磨させるだけだった。  だが、そんな自分の裏には、どんなに記憶を縫い繋いでも、いつも冷徹でまがまがしい黒さを持った自分がいる。今改めて心の中にある中学時代の卒業アルバムを開いて、自分の内側に爪を立てる。    頭は悪くなかった哲也は、大学を卒業して大手メーカーに就職した。数年が経ち、哲也は生産管理部の主任になった。その翌年、哲也の部署に久しぶりに新卒の女子社員が配属されるることとなった。『新卒』『女子社員』というワードだけで、部署の男性社員たちはみんなソワソワしていた。だが、主任の哲也は、その社員の教育係を命じられていたので、そんな気持ちにはなれなかった。   そして、4月1日、短大を卒業した中村静香という名の女子社員が哲也の部署にやつてきた。みんなの前で、顔も身体も緊張のため強張りながら自己紹介する静香を見て、哲也は可愛いと思った。大きいけれど、垂れ気味な目はキラキラと輝いていた。鼻は高すぎず、ちょこんという感じで真ん中に置かれているのが良かった。口はやや厚ぼったく、唇がぬれぬれとしていた。際立った美人というわけではなかったが、その柔らかい印象が好感を持てた。わかりやすく言えば、哲也の好みの顔だった。  教育係としてマンツーマンでずっと一緒に過ごすうちに、静香も哲也に心を開いてくれるようになり、自然に二人の距離は縮まっていた。仕事終わりに一緒に喫茶店に立ち寄るということから始まり、やがて食事を共にするようになり、バーで酒を飲むことへと発展するまでにそれほどの時間はかからなかった。教育係がその相手に恋することはルール違反なのかもしれないけれど、そうした規範を軽々超えてしまうのが若さというものだろう。ただ、あらぬ噂が二人にとってマイナスとならないよう、上司にはきちんと報告し、『本気なら』という条件のもと了解をとっていた。  
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!