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「いいヤツだった」
何もない空間を見つめて言った。
「そう。そうなんだ」
哲也の言葉をじっくり噛みしめているようだった。室内の空気が行ったり来たりしている。哲也は罪悪感にさいなまれた。
「友達ではなかったけどね」
敢えて嘘を言った。逃げてしまった、そんな自分が嫌だったけど、これ以上隆二のことについて訊かれるのが辛かったのだ。
「あら、残念。きっと兄と哲也さんは仲良しになれたと思うのにね」
静香のまわりだけ明るくほころんで見えた。
「さあ、どうかな。あっ、コーヒー冷めないうちに飲もうよ」
「ごめんなさい、気づかずに」
向かい合って、お互い無言でコーヒーを飲んでいると、一層気づまりな空気になる。静けさが四方から押し寄せてくるようだった。
「ねえ、静香の学生時代の卒業アルバムを見せてくれないかな」
深い意味があったわけではない。思いつきだったが、沈黙を破るにはいいアイデアのような気もした。もう少しこの部屋で静香と一緒に居たいと思ったからだ。結局、その日は静香の小、中、高校時代の卒業アルバムすべてを見るだけで帰宅した。きっと静香は、哲也のことを誠実な男と『勘違い』したに違いない。
帰りのタクシーの中で、哲也は静香との交際を止めるべきかどうかを考えた。だが、もう遅かった。哲也は静香のことを深く愛してしまっていた。幸い静香は何も気づいていない。静香の両親に挨拶に行くことになった時は少し緊張したが、両親が隆二と哲也の心の結びつきを知っているはずもなく、静香と哲也の結婚を心から祝福してくれた。哲也が28歳、静香が21歳の時だった。
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